人文書院
第II講 真理の帝国
第II講 真理の帝国
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西洋的伝統から生まれた規範システムは、知の体制や制度的組織の練り上げを通して、それだけがニュートラルで普遍的なものとして世界に適用されるようになった。他者の真理を誤りとし、自己の真理で置き換える、つまりは真理=文明の支配、これが帝国である。思想界のブニュエルたる著者が、〈ドグマ人類学〉の誕生を告げた、近代以前から現代までを射程に収めた壮大な帝国論。訳者による詳細解説と基本用語集を収録。
本書の構成は、一見捉えどころがないようでいて、実は周到に組み立てられている。産業システムが「自分について見ないでいる」部分に踏み込むことは、そのまま人間と社会との<ドグマ的構成>に触れることでもある。
全体は二部に分かれているが、第Ⅰ部では、産業システムのうちに隠されたドグマ的機能の役割が記述される。ドグマ的機能とは、人間が言語を通して社会的に生きる存在であることを可能にする基本的機能だが、それは知的に把握されるというよりは、まずは美的な体験のうちに現れる。主体や理性の構築に関わるこの部分は、殺人や性的欲望がどう代謝されるかという人類学的役割に深く関わっており、この種の問題を産業社会もまた逃れることはできない。そしていわゆる社会と個人との関係が一般に考えられているような対抗関係にあるのではなく、ドグマ的機能によってまさに分節されながら作り出されるといったことが、産業社会でもまた課題であることが示される。その第一章を受けて第二章では、「主体の秩序から政治の秩序への移行」が論じられるが、これは分離して結びつけるという言語の役割が、主体を構成する契機であると同時に、主体と社会を分節しながら組み込み、それによって主体を政治的秩序へと導くことが論じられる。
第Ⅱ部では、このような<産業システム>を可能にした西洋における規範的組立の定礎が、キリスト教とローマ法との合体によって成ったことが扱われ、それによって形成されたローマ・カノン法が<民法>の体系を<文明>として生み出したこと、言いかえれば、神聖化されたローマ法が、世俗的な<真理>の法的組立として、現代の<マネージメント>のやり方に至るまで反復されていることが論じられる。そして「埋もれたローマ法の歴史」そのものが、西洋的伝統に立つ社会の規範的組成を、「もうひとつの聖書」として支えていることが示唆されている。
そのようなことを念頭に、もう一度「目次」を通覧していただきたい。そうすると、ここで論じられていることが、グローバリゼーションの語られる現代世界にとって喫緊の問題を、きわめて根本的な形で扱っていることが理解されるだろう。(訳者、西谷修『真理の帝国』への導入より抜粋)
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