人文書院
史録 スターリングラード
史録 スターリングラード
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赤軍兵士はなぜあれほどまでに戦えたのか
ソ連から見た、独ソ戦の貴重な記録
1942年の独ソ戦の最中に歴史家イサーク・ミンツが組織した委員会。歴史家たちは戦線に赴き、スターリングラードで戦った将兵や民間人の声を聞き取って速記録にのこした。また従軍記者だった作家のヴァシーリー・グロスマンも多くの声を聞き取った。本書は、ミンツがユダヤ人であったがゆえに長らく公文書館に封印されていた膨大な記録を、ドイツの歴史学者ヘルベックが調査し、70年ぶりに蘇らせた記録である。ドイツ側視点に偏りがちだった独ソ戦の真実にソ連側の視点から迫る。待望の邦訳!
歴史家は聞き取りを系統立てて行った。ときには、同じ師団の数十人に話をきいている(指揮官、その政治補佐、司令部将校、連隊長や中隊長、兵卒)。本書で兵士二十四名のインタビューを紹介する第三〇八狙撃兵師団は、九月にスターリングラード北西部での戦いに敗れて多大な損害を出した後、市内に投入されて「バリケード」大砲工場を守りながらドイツ軍と戦っている。「赤い十月」工場で歴史家が話をきいた技師は、破壊された工場の復興計画をもう口にしていた。二十名以上に話を聞いた第三八自動車化狙撃兵旅団は、パウルス元帥と第六軍司令部を探し出して捕虜にしている。語り手一人ひとりの話は全体像の一部であり、どれも主観的だ。だが個々の話を積み重ねると、戦場における兵士の多面的できわめて詳細な姿が浮かび上がる。特色は、バランスの良さだけではない。共通の経験を明らかにし、赤軍が軍事組織としてどう機能していたかも明らかになる。だが、スターリングラードの記録は、このように率直で多面的であるが故に、その後の運命に否定的に作用した。軍の検閲官から出版許可を得られず、お蔵入りになったのだ。その記録が、今ようやく日の目を見る。「史料解題」より
Jochen Hellbeck DIE STALINGRAD PROTOKOLLE:Sowjetische Augenzeugen berichten
aus der Schlacht
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